令和2年6月19日、日本遺産認定の一報が入った瞬間の身震いをする感覚は今でも鮮明に覚えています。
益子という「まちづくり」は、1000年以上前の先人から益子への想いや愛情が脈々と引き継がれ、現在に至っています。
その先人たちの想いをつないだ物語りが「日本遺産」として認められた瞬間でした。今を生きる私たちは、益子の歴史の一部を紡いでいるに過ぎません。
けれども、自然や芸術文化、自主自立の精神など、先人からの DNAがずっと流れ続けていることは様々な場面や出来事で確認できます。
今や、60万人の人々を呼び込む「益子陶器市」も昭和の先人たちが始めた民間主導のイベントです。
祇園祭も長い歴史を誇りますが、あじさい祭りや手筒花火など魅力を増しています。
雨巻山の登山ルートの整備やウルトラマラソン大会、百目鬼川の清掃に円道寺池周辺の整備、生田目古墳群の整備など「自主自立」の活動は、枚挙にいとまがありません。
そして、益子町消防団本部が日本一に輝いたことは、益子の自治意識の高さの象徴ともいえます。
益子町民の歌、益子町民憲章、そして益子小学校の校歌に共通するキーワードがあります。 「世界」です。私も子供のころから「世界の益子」という言葉を耳にする機会が度々ありました。 これからの時代は、世界平和や地球温暖化問題など、地球規模で物事を考えていくことも必要です。 私たちの「益子」には、世界の人々に胸を張って誇れる、歴史や文化、自然があります。例えば、 西明寺や地蔵院、綱神社、民藝運動を肌で感じることができる濱田庄司記念益子参考館や日下田藍染工房、世界的にも稀なギャラリーや美術館、飲食店の集積などです。
「益子」という独自文化を持った「ローカル」をいかに「グローバル」発信し、交流し、世界の人々と共に育てていける地にするか?世界中のどこに行っても、「JAPANの MASHIKOから来た」と誇りをもって言えるように、長い時間軸と地球規模の大きな構えでもって、益子地区づくりを進めてまいりたいと考えています。
16年前、町長選立候補にあたって塙・星ノ宮地区をくまなく歩き、様々な声をいただいた時の事を今でも覚えています。下水処理に困っている方々、雨水の排水もままならないデコボコな道路。民間のディベロッパーにより開発された宅地については、行政として手出しできないところも多々ありました。「何とか解決する方法はないか?」そう考えながらも、町の財政は当時は火の車。財政を再建するための計画の真っただ中でした。
多くの町民の皆さまのご協力をいただきながら、財政難を乗り越え、ペンタックス・カメラ部門撤退や自然災害に起因する経済危機も乗り越え、少しずつインフラ整備に回せる財源が出来るようになりました。宅地内の道路については「道普請事業」を開始し、生活道路が改良されていきました。また、懸案の下水道については、そもそも塙・星ノ宮地域は公共下水道区域に入っていなかったものを平成25年に国・県に変更計画を提出。平成26年から工事に着手することが出来るようになりました。
さて、塙・星ノ宮地区は、益子町内で最も通勤に便利な立地で、また町内唯一の工業専用地域を有する所です。さらに、農地あり、平地林ありで多面的な魅力のある地域です。これから、道路整備や公共下水道整備、産業団地の造成に農地の土地改良など、この地区でのインフラ整備を行っていく予定です。その中で、特に気を付けていきたいのはどんな企業を誘致できるか?です。
私は、できるだけ雇用を生み出すことが出来そうな業種(例えば食品加工など)や企業などのターゲットを明らかにしたうえで誘致活動をして参ります。そして、この地区の元気の源ともいえる「益子西小学校」が末永く存続できる地域づくりを共にして参りたいと存じます。
16年前の町長選に際して、現在の七井中央の区画整理事業と北公園整備事業について、「2つの大型事業をどう考えるか?規模縮小も考えられないか?」「財政的に負の遺産を残すことにならないか?」というご質問をいただいたことがありました。私は「事業をしっかり継承して、早く供用開始したい」とお答えし た記憶があります。スーパーや各種施設とともに多くの住宅が立ち並び、「七井中央」という新しい街が出来たこの地区は今や新しい益子の顔になり、また「財政の悪化」というご心配も杞憂で済みました。新しい野球場のこけら落としにお越しいただいた元巨人軍の川口和久さんには多く子供たちがご指導を仰ぎ、益子大使としてもご協力をいただいております。そして、今年は国体の会場として熱戦が繰り広げられることになります。
七井地区は平成25年に開通100年を迎えた真岡鉄道七井駅、国道123号、121号、294号、県道1号などが集まる「交通の要所」です。そして、国指定重要文化財を有し日本遺産の構成要素でもある圓通寺や、平家物語につながる安善寺、今や春の益子の象徴ともいえる小宅古墳群や亀岡八幡宮など歴史と里山の自然も大きな魅力です。さらに、長年ごみ処理施設が台町にあったこともあり、環境に造詣が深い方々が多いことも特徴です。
そんな魅力がいっぱいの七井地区に対して、私はいくつもの夢や構想、そして愛着をもって地域づくりをしていきたいと思います。交通の要所としては、 県道塙・芳賀線(たつ街道)、県道黒田・市塙・真岡線の早期完成と国道123号線、国道294号線の拡幅や歩道整備を働きかけ、県道1号線と栃木県東部地域の未来 を創る「八溝縦貫道路」の推進をします。それら数々の道路網に合わせて、「果樹の里」「花の里」「農と食の里」「歴史の里」としての魅力を協働で掘り下げてみたい。そう考えています。
「交通の要所」である七井地区を、将来は益子町の「環境活動の拠点」として位置づけながら、脱炭素社会への貢献や資源循環型のモノづくり、経済づくり (サーキュラーエコノミー)など全国的にも先進的な地域づくりをしてまいりたいと存じます。ご協力のほど、どうぞよろしくお願いいたします。
平成28年は、生涯忘れることのない出来事が2つありました。東田井消防団の全国大会初出場でのベスト8という快挙と、「道の駅ましこ」のオープンです。長野での全国大会が10月14日。道の駅のオープンが10月15日。お盆と正月がいっぺんに来た、とはこんなことなんだろう、という思いでした。
道の駅オープンの日は、雲一つない青空が広がっていて暑いくらいの一日でした。その式典で私は「この道の駅をきっかけに、益子の農業と食に観光をからめて、必ず益子の地場産業、基幹産業にします」と宣言をしました。オープン前には「なぜ、あの場所に道の駅をつくるんだ?」「あんな贅沢な建物はいらない」と、様々なご批判もいただいていました。「すべては結果で示す」のが経営者の責任。緊張感との戦いでもありましたが、素晴らしい仲間たち、取引先、そしてお客様に恵まれて、全国的に見ても珍しいくらい順調に成長してまいりました。
「道の駅ましこ」には数々の魅力がありますが、その一つが芝生広場から広がる田んぼと里山の風景。「益子ならでは」の「田野ならでは」の風景です。田野の自然と、人々が織りなす宝物です。
現在、この道の駅の南北を結ぶ道路は、あと2年で益子市街とつながります。その後は、現在土地改良を進めている小泉・本沼方面へと工事が続く予定です。合わせて県道西小塙・真岡線の道路改良が進み、道の駅にとっても追い風要素が続きます。驕ることなく「道の駅ましこ」を成長させることが出来れば、年間100万人を田んぼの中に集める施設としてさらなる注目を集められるはずです。
かねてから「コンビニが欲しい」「ガソリンスタンドが必要だ」とのご要望をいただいていましたが、ゆくゆくは多くの企業が「投資をしたい場所」として着目する場所となるよう、さらに力を注ぐ所存です。
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